企業のDX推進に伴い、オンプレミスからクラウドへの移行を検討する企業が増加しています。しかし、いざシステム移行を進めると、ダウンタイムの延伸やコストの肥大化といった多くの課題に直面します。本記事では、大規模システムのクラウド移行における主要な課題を整理し、それらを解決するための最適なアプローチを解説します。結論として、再利用と再設計を両立する「選択的データ移行」が、コストとリスクを最小限に抑えつつ移行を成功に導く鍵となります。
この記事で分かること
- クラウド移行で直面する主な課題と業務への影響
- クラウド移行における3つの主要な移行ルート
- 選択的データ移行がコストとリスクを最適化する理由
- データ移行ツールの選び方と具体的な移行手法
- 移行プロジェクトを成功に導く具体的なステップ
本記事を読むことで、自社に最適な移行手法を選定し、安全かつ確実なクラウド移行を実現するための具体的な道筋が分かります。
クラウド移行で直面する主な課題
昨今、次世代ERP製品と言われるSAP S/4HANAなどへのクラウド移行を本格的に検討を進める企業が増加しています。しかし、大規模な基幹システムのクラウド移行には多くの困難があると言われており、移行に伴うダウンタイムの延伸やコストの肥大化など、解決すべき問題が付きまといます。ここでは、クラウド移行において直面しやすい主な課題について解説します。
ダウンタイムの延伸と業務への影響
システムをクラウドへ移行する際、最も懸念される課題の1つがダウンタイムの延伸です。特にSAP S/4HANAのような大規模システムの移行では、対象となるデータ量が膨大になるため、システムを停止する時間が長引く傾向にあります。ダウンタイムが長引けば長引くほど、日常業務への影響は深刻化し、機会損失や顧客満足度の低下を招く恐れがあります。
ダウンタイムの延伸を防ぐためには、十分な準備期間が必要であり、企業ごとに最適な移行方法を評価し決定していくことが重要です。移行に伴うシステム停止時間を最小限に抑えるための綿密な計画とリハーサルが不可欠となります。
移行コストの肥大化
クラウド移行におけるコスト管理も、多くの企業が直面する大きな課題です。初期見積もりでは想定していなかった追加費用が発生し、結果として移行コストが肥大化するケースは少なくありません。コストが膨らむ主な要因は下表のとおりです。
| コスト肥大化の要因 | 詳細 |
|---|---|
| 既存システムの複雑性 | 長年運用してきたシステムのアドオンやカスタマイズが多く、クラウド環境への適合に多大な工数がかかる |
| データ移行の難易度 | 大量の古いデータを排除したり、データ形式を変換したりする作業に予想以上のリソースを要する |
| 並行稼働期間の長期化 | 新旧システムの並行稼働期間が延びることで、インフラ維持費やライセンス費用が二重に発生する |
全部を再設計するにはコストが高い一方で、全部を再利用するとクラウドの新しい価値を十分に得られないというジレンマに陥ることがあります。費用対効果を見極めながら、一部を再利用しつつ他の領域だけ再設計するなど、適切な移行アプローチを選択することが求められます。
データ構造の複雑化と不整合
長期間運用されたオンプレミス環境のシステムでは、データ構造が複雑化していることが多く、クラウド環境への移行時にデータの不整合が発生するリスクが高まります。SAP S/4HANAへの移行においても、従来のERPとはデータ構造に根本的な変更があり、データベースはHANAで実行する必要があるため、単なる物理的なデータの抽出やコピーでは対応できません。
- 複数領域で重複するようなデータや不正確なエラーデータが存在する
- 移行先システムの要件を満たすためのデータクレンジングや技術的なデータ移行(データ構造の変換)が必要になる
- 不適切なデータが混入することで、移行後のシステム稼働やコンプライアンスに悪影響を及ぼす
このようなデータに関する課題を解決するためには、不適切なデータがあればコンプライアンス上のリスクがあるため排除するなど、移行前の入念なデータ整理が欠かせません。総務省の調査でも、クラウドサービスの導入にあたって既存システムの移行やセキュリティ対策が課題として挙げられており、安全かつ確実なデータ移行戦略を立てることが成功の鍵となります。
クラウド移行における3つの移行ルート
クラウド環境へ移行する際の選択肢としては、大きく分けて「リユース(Reusing)」と「リエンジニアリング(Re-engineering)」、そしてそれらを組み合わせた「選択的データ移行」の3つのルートがあります。特にSAP S/4HANAなどの次世代ERPへ移行する際には、自社のビジネス要件やデータ戦略に合わせて最適なアプローチを選択することが成功の鍵となります。
各移行ルートの特徴は下表のとおりです。
| 移行ルート | アプローチ名 | 特徴 | メリット |
|---|---|---|---|
| リユース型 | ブラウンフィールド | 現行システムのデータや設定をそのままクラウドへ移行する手法 | 導入期間が短く、業務への影響が少ない |
| リエンジニアリング型 | グリーンフィールド | クラウド環境に合わせて業務プロセスをゼロから再設計する手法 | 最新機能の活用や業務の標準化がしやすい |
| 選択的データ移行 | ブルーフィールド | 必要なデータのみを選択して移行し、一部のプロセスを再設計する手法 | 再利用と再設計のバランスを取り、リスクを最小限に抑えられる |
現行システムを活かすリユース型
リユース型は、現行システムをそのままクラウド環境へ変換する方法であり、従来のシステムのアップグレードに近いイメージです。一般的にブラウンフィールドアプローチとも呼ばれます。
現行のデータや設定を最大限に再利用しますが、移行先ではデータ構造に根本的な変更が伴う場合があるため、システム変換(System Conversion)として扱われます。このルートでは物理的なデータの抽出といった実際のデータ移行は最小限に留まりますが、代わりにデータ構造の変換といった技術的なデータ移行が実施されます。
- 現行の業務プロセスをそのまま維持できます
- 従業員の再教育コストを抑えられます
- 短期間でのクラウド移行が実現しやすいです
業務を再設計するリエンジニアリング型
リエンジニアリング型は、クラウド環境を新規導入し、ビジネスやプロセスの再設計や簡素化を実施する方法です。システムの初期実装や作り直しに近いイメージであり、グリーンフィールドアプローチとも呼ばれます。
業務をクラウドサービスが提供する標準ベストプラクティスに合わせることを目標としており、新しい実装(New Implementation)として位置づけられます。このルートでは現行のデータや設定は基本的に引き継がず、マスターデータなど最小限のデータのみを移行します。
- 最新のクラウド機能を最大限に活用できます
- 複雑化したアドオンや不要なデータを一掃できます
- 業務の標準化によるデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進しやすいです
再利用と再設計を両立する選択的データ移行
リユース型とリエンジニアリング型の再利用と再設計のバランスをうまく取った第三のルートが、選択的データ移行です。現行のデータを選択的に再利用しながら、一部のプロセスを再設計するようなアプローチとなります。
このルートは以前、ランドスケープ変換(Landscape transformation)と呼ばれていましたが、現在は選択的データ移行(Selective Data Transition)と名称が変更されています。すべてを再設計するにはコストが高く、すべてを再利用するとクラウドの新しい価値を十分に得られないという課題を解決するために用いられます。
たとえば、現行のロジスティクス業務は可能な限り再利用し、財務領域のみを新しいクラウド環境上で再設計するといった柔軟な対応が可能です。段階的な切り替えによるリスク低減や、不要な古いデータを排除して移行時のダウンタイムを極力短縮できるという大きなメリットがあります。
選択的データ移行がクラウド移行課題を解決する理由
企業が選択的データ移行(Selective Data Transition)を選ぶ理由には、再利用と再設計のそれぞれが抱える問題を解決したいという、以下のようなニーズがあります。
- 全部を再設計するにはコストが高い、また全部を再利用するとクラウド環境の新しい価値を十分に得られないため、一部を再利用しながら他の領域だけ再設計したい
- ビックバン的な一括切り替えはリスクが高いので、段階的に切り替えたい
- 大量の古いデータを排除して、移行におけるダウンタイムを極力短縮したい
- 不適切なデータがあればコンプライアンス上のリスクがあるため排除したい
- 複数の会社や組織を分割または統合したい
そのため、選択的データ移行では、企業のビジネス要件とデータ戦略に基づく意図的なデータ選択が非常に重要となります。具体的には、クラウド環境で必要・不要なデータの選択、必要なデータの移行方法(変換やクレンジング)、不要なデータの管理方法などを決定していきます。以下に、選択的データ移行がクラウド移行の課題を解決する具体的な理由を解説します。
コストと導入効果の最適化
システムのすべてを再設計するアプローチは、莫大な時間と費用がかかります。一方で、現行システムをそのままクラウドへ移行するだけでは、最新のテクノロジーがもたらす新しい価値を十分に得られません。選択的データ移行を採用することで、一部の業務プロセスを再利用しながら、特定の領域だけを再設計することが可能になります。
たとえば、現行のロジスティクス業務は可能な限り再利用して、財務領域はクラウド上で再設計するといった柔軟な対応ができます。これにより、移行コストを最適化しつつ、導入効果を最大化できます。
段階的な移行によるリスク低減
システム全体を一度に切り替えるビックバン的な一括移行は、万が一トラブルが発生した際に業務全体が停止するリスクを伴います。選択的データ移行では、データを分割して段階的に切り替えることができるため、移行リスクを大幅に低減できます。
たとえば、国や事業単位ごとに順番にクラウドへ移行することで、安全性を確保しながらプロジェクトを進めることが可能です。下表のとおり、一括移行と段階的移行の違いを整理しました。
| 比較項目 | 一括移行(ビッグバン) | 段階的移行(選択的データ移行) |
|---|---|---|
| 移行リスク | 高い(トラブル時の影響範囲が広い) | 低い(影響範囲を限定できる) |
| 業務停止時間 | 長期間のダウンタイムが発生しやすい | 分割移行により短縮可能 |
| リソース負荷 | 一時的に多大なリソースが必要 | 平準化して対応可能 |
不要データの排除とダウンタイム短縮
長年運用してきたシステムには、すでに使われていない古いデータや不正確なデータが大量に蓄積されています。これらのデータをすべて移行しようとすると、データ容量の肥大化によりダウンタイムが延伸してしまいます。
選択的データ移行では、大量の古いデータを排除して、移行におけるダウンタイムを極力短縮したいという要件を実現できます。たとえば、法的、監査的に必要な数年分のみを移行し、残りは現行システムやデータウェアハウスでレポートするといった対応が可能です。また、複数領域で重複するようなデータや不正確なエラーデータを移行せず削除することで、不適切なデータによるコンプライアンス上のリスクを排除できます。必要なデータのみを抽出して移行するため、データ構造の複雑化や不整合といった課題も同時に解決できます。
クラウド移行を成功させるデータ移行の手順とツール活用
データ移行ツールの選び方と特徴
選択的データ移行では、企業のビジネス要件とデータ戦略に基づく意図的なデータ選択が非常に重要となります。具体的には、SAP S/4HANAで必要・不要なデータの選択、必要なデータの移行方法(変換やクレンジング)、不要なデータの管理方法などを決定していきます。
しかしながら、SAPの複雑なデータ構造から必要なデータを漏れなく抽出し、SAP S/4HANAに合わせるのは容易ではありません。そのため、SAPが提供するツールを活用していきます。データ移行では、主に以下のツールを利用します。
- SAP Data Services
- SAP Data Management and Landscape Transformation
- SAP S/4HANA Migration Cockpit / Migration Object Modeler
- SAP Agile Data Preparation
各ツールにはそれぞれ特徴があり、対象データの種類や範囲、またSAP S/4HANAがクラウドかオンプレミス版かなど、状況によって使い分けが必要となります。たとえば、SAP Data Servicesには優れたデータ品質検証(データのバリデーション)がありますが、別途ライセンスの購入やインストールの手間が掛かります。
本記事では、SAP S/4HANAシステムに組み込まれており、直ぐに利用可能なSAP S/4HANA Migration Cockpitについて解説します。SAP S/4HANA Migration Cockpitは、追加のライセンスやセットアップが必要なく、SAPまたは非SAPシステムからSAP S/4HANAへのデータ移行を支援します。オンプレミス版とクラウド版の2種類があり、機能や手順が異なります。たとえば、オンプレミス版はトランザクションLTMCを使用して開始し、クラウド版はFioriアプリケーションから実行します。
移行方法の選定と仕組み
SAP S/4HANA Migration Cockpitでは、主に3種類の移行方法が提供されています。それぞれの特徴は下表のとおりです。
| 移行方法 | 特徴と仕組み |
|---|---|
| ファイル | エクセルのスプレッドシート(XML)に移行データ情報を入力して移行します。 |
| ステージング | 現行システムから中間テーブルへデータを抽出し、ステージング領域でデータ変換を実行してSAP S/4HANAシステムへロードします。 |
| 直接 | SAPシステムから直接データ移行ができます。現行システムはSAPに制限されます。 |
ファイルを用いた移行手法
ファイルを用いた移行手法では、あらかじめ用意されたエクセルのスプレッドシート(XML)に移行データ情報を入力して移行します。データ量が比較的少ない場合や、非SAPシステムからのデータ抽出結果を手動で加工・確認しながら進めたい場合に適しています。
中間領域を活用したステージング手法
ステージング手法は、現行システムから中間テーブルへデータを抽出し、ステージング領域でデータ変換を実行してSAP S/4HANAシステムへロードする方法です。大量のデータを扱う場合や、複雑なデータ変換が必要な場合に有効なアプローチとなります。
システム間の直接データ移行手法
システム間の直接データ移行手法は、現行システムがSAPに制限されますが、SAPシステムから直接データ移行ができます。RFC接続を介してデータを自動的に抽出し転送するため、中間ファイルを作成する手間を省くことが可能です。
移行オブジェクトの定義とカスタマイズ
SAP S/4HANA Migration Cockpitでは、移行可能なデータを移行オブジェクトとして提供しています。たとえば、銀行マスタや購買発注など全部で100種類以上あります。このオブジェクトには関連するソース構造とターゲット構造、およびこれらの構造間の関係に関する情報が含まれており、このオブジェクトのルールや規則に従ってデータ移行が実施されます。
移行オブジェクトの内容はSAP S/4HANAのバージョンごとに異なり、またオンプレミスとクラウド版でも異なります。
提供された移行オブジェクトでデータ要件を満たしていない(項目が足りないなど)、またオブジェクト自体がまだ提供されていないために、SAP S/4HANA Migration Cockpitでデータを移行できないケースがあります。そのような場合は、SAP S/4HANA Migration Object Modelerを利用します。元のオブジェクトをコピーして新しい移行オブジェクト(カスタムオブジェクト)を作成することができます。必要に応じてSAP S/4HANA Migration Object Modelerを組み合わせることで柔軟にデータを移行することができるようになります。
移行プロジェクトの具体的なステップとデータ検証
SAP S/4HANA Migration Cockpitにおける移行の手順は概ね以下のような流れで進めます。
- プロジェクト設定
- 移行オブジェクトの設定
- データの検証(依存関係や前提条件のチェック)
- データの転送(値の変換、シミュレーション、本実行)
特に重要なのがデータの検証プロセスです。転送する前に全ての移行オブジェクトの依存関係や前提条件をチェックするため、SAP S/4HANAシステムにとって不整合なデータをエラーとし排除できます。たとえば、購買発注データを転送するには、総勘定元帳(G/L)勘定や原価センタ、品目マスタなどが事前に存在することが必要です。
エラーが検知された場合は、マッピングの修正やクレンジングを行い、整合性を確保したうえで本番のデータ転送を実行します。これにより、移行後のシステムにおける業務への影響を最小限に抑え、スムーズな稼働を実現します。
移行オブジェクトやツールの詳細な仕様については、SAP Help PortalのSAP S/4HANA Migration Cockpitに関する公式ドキュメントなどを参照して、最新の情報を確認することをおすすめします。
クラウド 移行課題に関するよくある質問
クラウド移行のダウンタイムを最小限に抑えるにはどうすればよいですか?
選択的データ移行を採用し、不要なデータを排除して移行対象を絞り込むことで、ダウンタイムを短縮できます。
クラウド移行にかかるコストを抑える方法はありますか?
段階的な移行や、必要なデータのみを移行するアプローチをとることで、移行コストの肥大化を防ぐことができます。
リユース型とリエンジニアリング型の違いは何ですか?
リユース型は現行システムをそのまま活かす手法であり、リエンジニアリング型は業務プロセスを根本から再設計する手法です。
データ移行ツールはどのように選べばよいですか?
自社のシステム環境やデータ量、移行要件に適合し、データ検証機能やセキュリティ要件を満たすツールを選ぶことが重要です。
中間領域を活用したステージング手法とは何ですか?
移行元と移行先の間に一時的なデータ保管領域を設け、データの変換やクレンジングを行ってから移行先へ連携する手法です。
まとめ
クラウド移行における主な課題は、ダウンタイムの延伸、コストの肥大化、データ構造の複雑化です。これらの課題を解決するためには、再利用と再設計を両立する選択的データ移行のアプローチが有効です。不要なデータを排除し、段階的な移行を行うことで、コストと導入効果を最適化しつつ、リスクを大幅に低減できます。適切なツールの選定と綿密な手順の実行が、大規模システムの移行を成功に導きます。
当社はSAPのスペシャリストとして、豊富な知見と実績をもとに、最適なソリューションをご提案します。SAPに関するご相談やお見積りのご依頼は、ぜひお気軽にリアルテックジャパンにお問い合わせください。
【本記事の監修体制について】
執筆:Professional Service 部
監修:リアルテックジャパン株式会社 SAPソリューション事業
この記事は、SAP導入プロジェクトの豊富な経験を持つ当社の専門部門が内容を精査し、 以下の最終承認プロセスを経て公開しています。
最終監修責任者:リアルテックジャパン株式会社 代表取締役社長 松浦 一哉
企業の代表として、お客様の課題解決に繋がる有益で正確な情報発信に責任を持って取り組んでまいります。
- カテゴリ: SAP BTP・クラウド基盤
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